第34話

寒い。まだちょっと咳が出るからメンソールのタバコを買ったけど、あまりに寒くてギブアップした。

アメリカで大統領が決まったらしい。政治のことはよく分からないけど、世の中は動いたり動かなかったりを続けるのだと思う。俺が何時間も座ってられないのと同じだ。流れは良すぎても悪すぎてもいけない。

授業に行くと、いつも同じ女の子のグループがいる。どの授業でもだ。だいたい俺と同じくらいの真面目度なのだろう、いつも同じエリアの席にいる。今日は俺の隣に座った。おそらく向こうも認知しているだろう。特に何もないのだけど、ちょっと綺麗めに出席カードを書いて、見える位置に置いておいた。案の定二度見した。ちょっと嬉しい。すごろくでいうと2マス分くらいだ。

第33話

ようやく熱が下がった。通学許可も出た。ゼミで発表をした後、久々にタバコを吸った。半ば吸わされる形だったが、なんだかようやく元の世界に戻ってきたって感じだ。タバコが吸いたかったわけじゃないけど、以前やっていたことをやりたくてウズウズしていた。

明日、母が初めてディズニーシーに行くらしい。母は中学から大学まで女子校で、中1からの仲良しグループがあるらしい。全員50歳を迎えるにあたって大人ディズニーと洒落込むそうだ。折角だからオススメの場所を教えてあげた。高校生くらいの頃、レンガ造りのエリアが大好きだった。あとアクアトピアの近辺だな。

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でも、どっちもすごく切なくなってしまう。何でか知らないけど、不意に家に帰りたくなってしまう。帰りたくないのに帰りたくなる。それだけでも辛いのに、そんなことは知らずに横で笑っている彼女を見て罪悪感を覚える。その狭間で泣きそうになる。俺はこの挟まれ方がすごく苦手だ。

すごく嫌な言い方だけど、俺の「この人とはもう会えないかもしれない」という予感はすごくよく当たる。これは彼女に限らない。これもさっきの「帰りたい」と同じで、これを感じてしまうこと自体悲しいのに、相手は横で笑っているから罪悪感に包まれる。自分が怖くなるのかもしれない。

まあともかく、母は最近バタバタしていたから、ゆっくり羽を伸ばしてきてほしい。家のことは俺がやっておいてやろう。

 

ゼミの発表をしていて気付いたんだが、俺はどうもはりつめた空間が苦手らしい。ウケないと分かっていても、真面目な空気を台無しにするような小ボケを挟まずにはいられない。これはきっと親父譲りだ。

第32話

相変わらず熱が下がらない。一日中、本当に一日中家にいて考え事をするのも、まあいいもんだ。

卒論をサボらないように、常にモチベーションを保とう。今日は家庭用ガス(東京ガス管内)の逆需要関数を推定するために、重回帰分析を使って、ガス需要の価格弾力性を求めた。だけどP値が0.95とかになってしまう。説明変数にはガスのCPIや暖房度日数、冷房度日数の他に電力のCPI、域内GDP、人口なんかを入れたけど、いわゆるマルチコかな。人口は契約口数とかに変えて、GDPは一人当たりの値にしてみようか。あと時間があったら階差でも取ってみよう。なんて面倒臭いんだ。

どうでもいいけど、パワポって性格が出るよな。すげえ「和」って感じの渋いフォント使ってる人はどういうつもりなんだろうな。あと変なところで改行してるのとか。きっと人から見られる部分への執着がないんだろうな。こうやったら見やすいかなとか、これは色がきつすぎるかなとか考えてる時間が一番楽しいのに。

突然、アメリカ旅行が楽しみで仕方なくなった。手探りで生きていく、周りは敵ばかりなのを徐々に味方につけていく、あの感じが好きだ。やっぱり海外にはたまーに行くのが合ってるんだ。この感覚、スリルというとなんだか安っぽい。横文字はこういうところが不便だ。その点日本語は最高に使いやすい。糸の色や太さをたくさん揃えても、よく使う物なんて限られている。だけど、いざというときに種類がないと不便だ。言葉なんて繊細すぎるくらいがちょうどいい。

3日くらい前、玄関先で小さなトンボを見つけた。今日ようやく飛び立った。空が怖かったのか。それとも我が家の居心地が良かったのか。「居心地」、これがいつも甘い匂いで俺を誘う。上手くいかないと分かっていても飛び立たなきゃいけない時が、そのために何かを壊さなきゃいけない時がくる。闘う人間の人生はそういうもんだ。

第31話

麻雀をした。とんでもなく運が良かった。嬉しいけど、そっちじゃないんだよなあ、噛み合わないなあ。

卒論の第1稿をあと3週間で書かなければいけないらしい。まあ無理だ。なんせ構想だけで他は何もしてない。生きてくってそういうもんじゃないのかな。少しの理想、目的地だけ持って、あとは波に身を任せる。それじゃダメ?

内定先の配属アンケートが始まった。いよいよって感じだ。会社が決まってから言うのもアレだが、俺は相手の色を見極めて、その人に合った上着をかけてあげられる仕事がしたい。何を売るかは問わない。日々悩むような仕事だと尚良い。

風邪を引いた。熱が39℃まで上がってすごく辛かった。今は薬を飲んでだいぶ落ち着いたけど、寒気が止まらないのは生まれて初めてだったな。でも昔から、風邪を引くとみんなが優しくて、案外嫌いじゃないんだ。小学生の頃、学校を休むとクラスメートがその日の授業内容を書いた紙を家に届けてくれていた。同じ班の友達や、隣の席の女の子からのメッセージがやけに嬉しかった。

「理想のお嫁さん」についての話をした。俺の理想は背伸びをしないでいてくれる人だ。頭の中がこんなんだから、時々自分でも制御できなくなる。暴力みたいに危害を与えるようなものにはならないんだけど、自分の心をとことん痛めつけてしまう。そんなときに「まあ梨でも食えよ」って言ってくれたらそれでいい。無理に分かろうとしなくていいんだ。俺にだって分からないんだし。

あと、無駄が嫌いじゃない人。俺の人生、無駄だらけだからな。基本寄り道ばっかりだ。あてもなく歩いていたら、歩くのがすごく楽しくなって、どこに向かっていたか分からなくなることだってある。それに合わせてくれる必要もないけど、常にゴールを持っていたい人は、俺みたいなのを好きになれないだろうな。今やりたいと思っている仕事だって、1年もすればきっと変わっていると思う。やっているうちに、何か別の楽しみを見つけるんだろう。

 

寝よう。熱があるときは大抵「あの」夢を見るんだよな。嫌だなあ。気が遠くなる感覚だけをずっと繰り返すんだ。海のど真ん中に一人きりだったり、締切直前に全部をやり直すことになったり、そういう類のものだ。見るのは具合が悪いときだけなんだよね。どういう原理なんだろう。

明日は絶対に論文やろう。3段階あるうちの1段階目までは終わらそう。

第30話

親父の夢を見た。いつも同じ夢だ。どこかの遊園地にあった、さびれたゲームセンターで、一緒にUFOキャッチャーをやっている。あれはどこの遊園地だったか、いつも思い出そうとするんだけど、いつも思い出せない。そしていつも「見られなくなったら嫌だなあ」と考えて思い出すのをやめる。

故人の夢を見るときは、故人が我々を心配しているらしい。前にお坊さんが教えてくれた。会えなくても会えるという現象が、この世界にはある。友人の話に父が出てきたり、本や記事の中に父の名前が書いてあったり。自分や兄弟の顔に父を感じたり。まあ、嬉しいけど80点ってところだ。

今日は意識して、一日中過去にしがみついていた。明日からは前を向く、自分とそういう約束をした。俺の意志は固い。なんせ今はカップ麺をすすりながらこれを書いている。

冗談はさておき、生きる意味を探すために生きる、俺が挫折したときには必ずこの時期が訪れる。実はこれが一番幸せだったりもする。何が起きてもご褒美のように感じられるからだ。お腹が痛くてたまらないときは、痛みが引いただけでも気持ちよく感じる。それと同じだ。

 

祖父の誕生会をした。ウォーキングにハマってるみたいだから、ウォーキング用に色んな小物をプレゼントした。万歩計とか、夜道を照らすネックレス型のライトとか。あと一緒に焼酎を飲んだ。喜んでくれてるといいな。俺はすごく美味しかった。ハタチの誕生日に飲んだ酒とは、また違う味だった。小学生の頃に、祖父と魚へんの漢字を覚えた日のことを話したら、全く覚えてないと言われた。恥ずかしいから覚えていてくれ。

湿っぽいことばかり書いてしまった。まあ水をやりすぎると、こうなることもあるんだ。みんな心配してくれてありがとう。

第29話

隣の芝生は青い、のか。

言葉にすれば案外小さなことだ。好きな人に彼氏がいたり、出会いの形が悪かったり。その小ささすらも悲しい。俺にとっての宇宙、永遠、無限は、世界にとってはたったこれだけ。何十億人のうちの1人、何十億年のうちの一瞬、どんどん凝縮されていく。彼女にとっての俺も、また同じかもしれない。何年に対する一瞬。分母だけが増えていく割り算だ。

 

追記

同じ所をグルグル回っている。金も時間もガソリンも気遣いも、垂れ流して生きている。貫くべきか、否か。わからない。

本当に怖いのは何だろう。大切な人を失うことか。後悔することか。負けることか。裏切られることか。なんとなく答えが出たと思っては、死角から別の物に刺される。まるで成長しない。男らしいじゃないか。

スーツを取りに行ったつもりが、コーヒー豆を買って帰ってきてしまった。二度手間だよ、やんなっちゃうな。でも二回目のときに寄ったサンマルクカフェのアイスティラミスラテが美味しかった。噛みそうな名前なのを除けば最強だ。だから寄り道はしてみるもんだって、いつも言ってるんだ。

痛みを忘れるには、痛みに慣れるのを待つべきか、なるべく傷に触れないよう気を付けるべきか。みんなどうしてるんだろう。「あ、また思い出した、別のこと考えよう」を繰り返すと、逆に印象づけられてしまう気がするんだ。

あまりの寒さにニット帽を出してきた。最高だ。冬は難しい。沢山の色で自分を守れる一方、色が多くて落ち着かない。

第28話

もうすぐハロウィンだ。俺も仮装したいな。エロいナースの格好するか。男だからドクターか。エロいドクターって完全にサイコ野郎じゃないか。

 

後輩から送られてきたESに

「あなたの人生のピークはいつだったと思いますか」

「あなたにとっての永遠の課題は何ですか」

という設問があった。俺が人事でも同じことを聞くかも知れない。まあそれはさておき、時々考える。今はピークだろうか。どん底だろうか。どちらでもないのなら、上り調子なのだろうか、それとも逆だろうか。まあその辺は時の運なわけだが、

あくまで俺の実感としては、だ。禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、良いことも悪いことも交互に訪れる。ただ、全体としてみれば逓減とでも言うか、プールで長い距離を泳ぐときのように、浮いては沈んでを繰り返しながら、少しずつ少しずつ沈んでいる。もがけば沈む、何もしなくても沈む、そんな気がするのはネガティヴだからなのか。

とにかく、どうして流砂に飲まれたのかを考えるのが俺にとっての課題だ。それが解決しない限りは、頭の中にいるもう一人の自分も消えないだろうし、死ぬこともできないだろう。負けたままにしておくのは苦手だ。

 

祖母が美味しいお茶の葉を買ってきた。少し冷まさないと香りが飛ぶらしいけど、熱々の方が美味しいと思ってしまうな。冷ましたやつは、どうもぬるくなったお茶のような気がして。何事も「適度」が一番なのは知ってるけど、意図的に作った「適度」ほど愛着のわかないものはない。服を選ぶときもそう。ゲームのキャラを育てるときもそう。「玄人っぽさ」には、いつもこの罠が仕掛けられている。そして分かっているのに、いつも引っかかる。