エピローグ

やっぱりちゃんと書こうか。日記だし。


大学では本当に沢山の人に良くしてもらったけど、一番長い時間を共に過ごした集団は二つ。一つは学部の腐れ縁。いわゆるGESSってやつ。もう一つはドイツ語で仲良くなった奴ら。まあ友達が少ないと言えばそこまでだけども。それぞれ物凄く居心地がよかったけど、よく分かんないうちにその二つがくっついて、最後はごちゃ混ぜになったという感じ。
俺は一応、合コンでいう幹事というか、それぞれを紹介した立場だったし(俺の手柄だとは思ってないし、周りもそんなこと憶えてないだろうけど)、おまけに他の友達も少ないから、どうも自分の居場所が掴めなかった。だから俺抜きでも集まれるようになった時は嬉しい反面、どこか寂しかったのを憶えている。「俺、そろそろ用無しだったりして(笑)」なんて。酒に酔った時ではあったけど「お前がいてくれてよかったよ」と言われたことは一生忘れない。

でもやっぱり、みんな優秀だし、面白いし、当然本音で語り合える仲間もたくさんいるわけで、こんな立場じゃなかったとしても友達でいてもらえた自信があるわけではない。同じゼミだったり、同じ会社だったり、俺の知らないところで今より仲良くなったところに、また混ぜてもらえるのかどうかも正直不安だったりする。だから結局、その辺は分からずじまいだったかな。もしかしたら友達なんてのはそのくらいが丁度良いのかもしれない。

でも一つだけ確実に言えるのは、俺がこれから会う人や、自分の家族、ともすると子供や孫に「大学の友達が一番面白かった」と胸を張って言えること。遊んでばっかりだったわけじゃないし、それぞれ勉強就活恋愛色々あったけど、これは間違いない。

情けないけど最後は涙が止まらなくて、タバコを吸ってても少しも気が紛れなくて、ろくにお礼も言えず帰ってきたんだけど、本当に感謝しています。ありがとう。

 

それから、家族にもしっかり感謝をしないといけない。4年間もあれば当然楽しいことだけではなかったんだけど、毎日温かい食卓で迎えてくれたのは母と弟と祖父母だったし、ここまで来られたのはあまりに大きい父の背中があったからだし。これからしっかりと恩返しをしなければいけないな、と感じた。

自分はこれまでがむしゃらに父を追いかけてきたけど、やっぱり一番凄いのは母なんだと思うことが最近多い。父が死んだとき、弟と俺を呼び出して「これから三人で頑張ろう」と言ってくれたことを忘れた日はない。母は忘れているかもしれないけど。(笑)

 

そろそろ自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたから、寝よう。来週からは会社で働いてるんだ。切り替えていこうぜ。

特別編 卒業

この1週間、何をするにも「最後」という言葉が付きまとっていた。それがあまりに嫌で、ちょっとまとまった文を書きたいと思っていた。とはいっても最終話なんて言った手前、日記にするのはあまり気が進まなかった。それがどうして、という話。まず昨日までの話から。

確かに「学生料金でご飯を食べるのは最後」「友達と旅行をするのは最後」「私服で飲み屋に入るのは最後」それはそうなんだけど、そうなんだけどワクワクのが大きいからなあ、なんて考えていた。

でも一つだけ心当たりがあって、俺の生活はこれまでとあまり変わらないから、それで寂しくないのかもしれない。 今まで通りのベッドで寝るし、家に帰れば母と弟と祖父母がいる。カッコ悪いけど、結構理想的だ。田舎の県境みたいに、気付いたら隣の県に来ていた、なんていう風に就職したかった。

 

そんで今日。というかさっき。母と電車に揺られていたら、俺の前に立っていたサラリーマンの荷物が金網から落ちてきた。普通に死ぬほど痛かったし、今思えば「あっ」じゃなくて謝れよと腹が立つんだけど、咄嗟に「隣の小学生じゃなくてよかった」と思ってしまった。意外と卒業する準備もできていたのかもしれない。そう思ったとき、「もう十分楽しんだかな」と素直に感じた。

 

もういっそ別の日記を作ろうかなんて思ったけど、それもなんかね。

そんな感じの卒業式です。

最終話

試験が終わったらというのは心のどこかで考えていた。
最後だからどうというのもない。何かが終わるときはいつだって、何事もなかったかのように終わる。楽しい旅行でも、人の命でも。だから駅前のラーメン屋のように、このURLがいつの間にか別の日記に変わればいいと思っていた。

気付いた人もいるかもしれない。実は日記を書くとき、俺は読者に語りかけないようにしていた。誰かを思い浮かべてしまうから。そもそもこれは日記であって、手紙ではない。いや本当のところは恥ずかしいからなんだけど。今日はそういうのどうでもいいや。まあ、あれだ。淡々と書くのは寂しかったんだ、意外と。

ちょうど5ヶ月。22歳を迎えた夏から、5ヶ月。この5ヶ月間の記録が、この先俺の人生にどう関わっていくは知らない。死を考えたとき、俺を引き止めるかもしれないし、背中を押すかもしれない。ある日俺はこの日記のおかげで有名人になるかもしれないし、その前に恥ずかしくなって消すかもしれない。けどそんなの分からない。というか分かりたくない。
少なくとも、この日記を終えて思うのは、今が一番大切だということ。過去よりも未来よりも、ずっと。そしてこの「今」だけは、絶対に消えない。俺が記憶を失っても、あなたが灰になっても。
だからこそ、常に古い「今」を捨てて生きていく。捨てるのが勿体ないと感じても。これが未来に向かっていくということだと思う。運命という波に逆らうのは好きじゃない。でも抗おうとする姿勢だけは絶対に捨てちゃいけない。そう思う。22歳の俺に唯一誇れるところがあるとすれば、そこだ。
もがいてもがいて、格好悪くてももがいて、頭の中がグチャグチャになったら、それも引き連れて進んでく。そんな人にしか見つけられない宝物が、絶対にある。絶対にだ。誰かの分まで生きるなんてなかなかできないけど、俺たちが死んだら土産でも持って行ってやろう。


ともあれ、これで「コンサバティブに生きよう」は終わりです。読んでくれたみんな、ありがとう。「ブログ面白いね」「いつも読んでるよ」と言ってくれた人、精一杯理解してくれた人、こっそり読んでた人。俺の心には、いつもあなたがいました。本当です。俺の書いた文章が、少しでもあなたの心に優しい色を分けられたなら嬉しく思います。

それでは。

第59話

フェデラーナダルを観た。とてもいい試合だった。お互いの良さが光っていた。この先一生テニスの試合が観られなくてもいいかもしれない。それぐらい感動した。

明日は最後の試験だ。式典以外で学校に行くのも最後だ。卒業できればの話だけど。まあ多分大丈夫だろう。入社月(俺の内定先には4月入社から8月入社まであって、ほぼランダムで決まる)も無事4月になった。万全の体制で春休みを迎えよう。とりあえず、たくさん旅行したいな。とりあえず3つは決まった。まだまだ増やそうじゃないか。

 

日々、今日が最後でもいいようにと思って生きている。だからってたくさん金を借りるとか、人間関係を壊すとか、そういうことはしないけど。むしろ、ひどい言葉を言って終わりなんてことがないように、人にかける言葉は慎重に選んでいる(つもりだ)。この日記も書き残しがないように、思ったことは何でも書いてきた。だけど取り消したくなるような愚痴は、なるべく書かないようにしてきた。

明日の試験が終わったら、美味しいもの食べて寝よう。そう思ってたけど明後日はゼミの卒論発表会だ。プレゼンのたびに思う。自分の言いたいことを伝えるには、分かりやすく伝えるには、これだけの準備が必要なのかと。でも相手を思って資料を作る時間はとても楽しい。

第58話

時間が足りない。卒論の締切は明後日、試験も明後日から、卒論発表は来週。悠長に寝ている場合ではない。

 

バイト先で苦情をもらった。俺に対する苦情ではなく、別の部署に対して。詳しいことは書けないけど、客が「前にも使ったがこの工場はマズいだろ〜」と思ってうちの担当に相談したのに「自分で何とかしろ」という態度だったらしい。結局そこに車を預けたらぼったくりという始末だ。あまりにも申し訳ないから俺は誠意を持ってお話を聞いた。聞いた、というのも俺の力じゃどうにもしてあげられないから。

せめて解決策の一つでも教えてあげられればと思って、上司に電話を代わった。だけど「はいはい、伝えておきますよ」というような対応をするだけだった。お前らが客の信用をドブに捨てて、バイトの俺がせっかく取り戻しかけたのに、もう一度投げ捨てた。これってどうなのよ。自分の無力さに腹が立つというのは、これか。

余談だが、前回の日記の後に新しいメガネが届いた。調節したはずなんだけどめちゃくちゃ緩かったから、今日別のメガネ屋に行って調節してもらった。他店で買った物でも、無料で直してくれるんだな。世の中捨てたもんじゃない。次に買うときはこの店にしようと思った。俺がやりたかったのはこっちだ。

 

本屋で心理学の本を読んだ。あれで金、もらえるのか。俺も書いてみようか。小説は流石に無理だから、実用本じゃないとだめだよな。内定先で偉くなれば発言力もつくかな。それだけじゃ足りないし、MBAとかも必要?

なんて考えてたらあっという間に夜だった。とりあえずこの程度の目的があれば、数年は楽しく働けそうだ。やっぱり人を突き動かすのって金だな。

 

第57話

授業中に眼鏡が壊れた。新しく買ったものが明日家に届く予定だった。なんというタイミングだろう。何かを察したのだろうか。君を捨てるわけじゃないよ。むしろ新しいのより使うよ。

友人が皆卒論に追われている。俺も提出したとはいえ、誤字だらけだし、これから教授のコメントが来るし、意外と余裕がない。明日はそのコメントを聞きに行って、そのあとバイト。嫌な一日だ。眼鏡だって家を出る前に届くわけじゃないだろうし。本当に嫌な一日だ。何が嫌って、なんとなく嫌な予感がする。できればバイトだけでもなくなってほしいところだけど、交代は見つからないだろうなあ。

 

来週でだいたいの授業が終わる。そしたら卒業まで、どうするんだろう。卒業旅行かな。旅行がないときは?寝て遊ぶだけの毎日ってソワソワする。大金を拾ったような感覚だ。拾ったことないけど。

最近毎日終電だ。さすがにもう少し早く帰ろう。親が心配している。こうやって遊びすぎて我に返るのも、あと少しで終わると思うと安心する。早く就職したいという気持ちはそこから来ているのかもしれない。「最近だらけすぎだな。」そう思って、急ぐ必要もないものを徹夜で片付けるようなことが多い。だから俺は時間に追われることが意外と少なくて、暇なときにだらけちゃう。オンとオフをしっかり区別したい性分なのだ。

バイトが嫌なのは、仕事がつまらないからではなくて、常にオンでいろというのがあの業界の性格だからだ。仕事なんか早くなくていいから、たくさん働け。客の言いたいことなんて先読みしなくていいから、聞かれたことにマニュアル通り答えろ。ごもっともだけど、窮屈で仕方ない。俺がやりたいのは、人を怒らせないことじゃない。喜ばせることだ。

 

美味しい寿司が食べたい。誰が何と言おうと、ねぎトロが一番だ。

第56話

「楽しいままで終わりたい」と言って中学生が命を絶ったらしい。俺の周りはみんな彼女に賛成だ。俺は「もっと楽しい時があるかもよ?」と思うんだけど、「大人になると苦しいことがたくさんあるから、それはない」というのが世論らしい。なんかよくわからない。苦しいことが少しでもあった時期は「一番楽しかったで賞」にはノミネートされないってこと?それともみんな本当に苦しすぎて昔より楽しめてないの?

俺は真逆で、楽しいことが少しでもあったらノミネートしちゃうタイプだ。苦しいことが楽しいとも思わないけど、苦しみが増えてくるってことは心が豊かになってるってことで、「楽しい」に対するアンテナの感度も上がってきてると思う。そもそも楽しいの反対は「楽しくない」であって、苦しいのとは全く関係ないと思う。

別に、死を選んだことに反対なのではない。生意気だと思うからでもない。「もっと楽しい時があるかもよ?」っていうのも、判断が早すぎると思うからではない。その「かも」に賭けてみるのが人生だと思うからだ。

人の人生が救われるのなんて、正直なところ、死ぬときに「あー楽しかった」と満足できるかどうかだろう。それも死ぬ直前の一瞬、コンマ何秒。おまけに楽しかったと思えるかどうかも分からない。その訪れるかどうかも分からない一瞬のために、何十年も苦しみ続ける。本気で馬鹿げてる。でもそれがいいんだ。馬鹿げてるから人生なんだよ。

 

とはいっても、楽しくない一日だった。散歩したけど発見は何もなかったし、ラーメンは注文してもなかなか出てこなかったし。けど良い眼鏡は見つかった。お店のお姉さんすごく綺麗だったし、試着したときの感想が全部俺と同じだったし。黒縁と金縁は似合わないんだなあ。